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幸せの方舟

幸せの方舟


司堂和姫様
「ごきげんよう、紅薔薇さま。あの……おめでとうございます!」
 朝のまぶしい光が差し込む、週末の土曜。私は中庭に行く途中で一年生らしき女生徒に
開口一番そう言われた。
(おめでとう、って……? 何のことかしら)
 突然「おめでとう」と言われ、私は戸惑った。
 ――何かおめでとうって言われるような日だっけ? 今日って……。
 少し考えてみたけれど、思い出せなかった。何より、最近彼女といることが多くて舞い
上がっていたから。そんな私の考えていることなど知らない一年生は、そのまま話を続け
た。
「明日って紅薔薇さまのお誕生日ですよね」
 ……あ。
「ですから、その……こ、これ、お誕生日のプレゼントなんです!! 明日は休みで渡せ
ませんから……。よろしければ受け取ってください」
 そう言って差し出されたのは、紅い包装紙で包まれた、きれいな箱だった。私は笑顔で
受け取って「ありがとう」と一言お礼を言うと、一年生は「い、いえ! ありがとうござ
います!!」と顔を赤らめてその場を去っていった。
(そういえば……明日って私の誕生日だったわね……)
 忘れていた。ついつい、目の前にある幸せに満足して、明日が自分の誕生日だというこ
とを。そういえば、日曜日デートした時に「もうすぐね」って言われたっけ。その時は何
のことだかわからなかったけれど。今にして思えば、きっと私の誕生日のことだったのだ
ろう。
「さすが、紅薔薇さま。モテモテね」
 私の思考を遮って、不意に後ろから声が聞こえた。そう。私の一番好きな人の声。
「……江利子」
「せっかくの待ち合わせなのに、見せつけてくれるわね」
 江利子は少し突き放すように文句を言った。いつもは昼休みに私は江利子と薔薇の館に
近い中庭で待ち合わせをしているのだが、今日は江利子が朝から会いたいと言っていたの
で今からそこに行く途中だった。そして、今日はたまたま朝早くから待っていたと思われ
る先ほどの一年生に声をかけられたのだ。
「別に……見せつけてないわよ」
「そうかしら」
 私の言葉を不服そうに言い返す。
 まったく、何を怒っているのかしら。この間デートした時はとてもやさしかったのに。
まるで、デートなんかなかったような態度。
「それで? 朝からどうしたの?」
 取りあえず、怒りを押さえて江利子に今日の用件を聞く。昼休みにも約束しているのだ
から別に朝から会う必要なんてないのに。
「……もう、いいわ」
「え?」
「だから、もういいって言ったの。蓉子は私に会うことよりも、名前も知らない子からも
らったのプレゼントの方がうれしいんでしょ」
「!!」
 江利子の言葉に、私はこれ以上、怒りを押さえつけられなかった。

 バチーン!

 そして……私は思わず、江利子の右頬を叩いていた。
 許せなかった。私が一番好きなのは江利子なのに。どうして、わかってくれないのだろ
う。
「江利子のバカ……」
 私は小さくそうつぶやいて、その場を走り去った――。


「……」
 中庭に一人残された私は、自己嫌悪に陥った。
 蓉子に八つ当たりをしてしまった……。
 自分が悪いなんてこと、わかってる。蓉子はやさしいから、悪気があってあの一年生か
らのプレゼントを受け取ったんじゃないってことも。けど、くやしかったからついあんな
言葉を言ってしまった。
 ……右頬が痛む。
 蓉子に手を上げられたのはこれが初めてだ。いつもは私が何かを言っても、ただ拗ねた
りするだけで、すぐ仲直りしていたから。そう、私たちの仲は壊れない。ずっと思ってい
た。
 去り際に見た蓉子の顔には涙が浮かんでいた。……蓉子を泣かせてしまった。
 そう思った時、いつもより、心が痛んだ。
「ホント……バカね」
 私は蓉子が放った言葉をつぶやいた。
 ……予鈴の鐘が鳴り響く。もうすぐSHRが始まる時間になる。けれど、私はしばらく、
その場を動くことができなかった……。

 休み時間。蓉子は来なかった。いつも、けんかした時は、すぐに蓉子の方から私に会い
に来ていたのに。
(やっぱり……今回はどう見ても私の八つ当たりだものね)
 そう、完全に八つ当たり。
 たかだかプレゼントを渡すところを見たからって、あそこまで言う必要なんてなかった。
でも、蓉子を取られそうなるってそう思った。いつだって、蓉子は私のもの。私は蓉子の
もの。そう思っていたから。けれど、そんなの自己満足でしかないのかもしれない。
(……よくよく考えると、私だって蓉子以外からプレゼントはもらってるのよね)
 いつだったか蓉子といた時(たぶん、薔薇さまになった頃)、今の二年生から薔薇さま
になったお祝いとして(あくまでたぶん)プレゼントをもらったことがあった。こういう
のはめんどくさくて、受け取ろうかどうか悩んでいたが、結局お祝いだし、と思って受け
取った。
 その時の蓉子はただやさしく微笑んで「よかったわね」と言っただけだった。蓉子はそ
の時どう思っていたのだろう。
 結局……私はどのくらい愛されているのだろう……。
「江利子」
「っ!!」
 いきなり名前を呼ばれ、反射的に声がした方を振り向いた。
「ヤホー」
「……聖」
 蓉子じゃなかった……。
 私は少なからずホッとした。今また会えば私はまた蓉子を傷つける。今度は「別れる」
とか言われるかもしれない。そんな不安感があったから。
「蓉子じゃなくて残念だった?」
 私の心情を察してか、聖はいやみったらしく蓉子の名前を出す。
「あー、それとも今は会わない方がいいのかしら」
「からかいに来たのなら怒るわよ」
 睨みつけると、聖は「おお、恐っ」と言って、両手を上げて降参のポーズをした。
「悪かったって」
「まったく。それにしても、めずらしいじゃない? 聖が私のところに来るなんて。いっ
たい何しに来たのよ」
 ……何となく、わかった。
「ん。今日ね、蓉子、薔薇の館に行かないって」
 ズキン。
 心臓にチクリと痛みが走るのを感じた。
 蓉子。
 その名前を聞くたび、会いたいと思ってしまう。けれど、それを悟られたくなくて、私
は「そう」とそっけなく受け答えた。
「……おもしろくない?」
「何が」
「私が蓉子と会っていること」
 ……。そうだ。蓉子は私とけんかした時は聖に相談しているらしいのだ。けど、それは
わかっている。だって二人は……。
「安心してよ。もう、私と蓉子はそういう関係じゃないんだから」
 見透かしたように聖がそう言った。
 そういう関係。そう、聖と蓉子は……恋人同士だった。聖と栞さんが別れたあの日から、
二人は恋人になった。聖が栞さんしか周りを見なくなった時、蓉子は聖を……。
 けれど、今は……。
「結局、私は蓉子に甘えていただけなのよ。だから、これ以上は一緒にいちゃいけないと
思った。そんなのは愛とか恋じゃないしね」
「……聖」
「蓉子には私の方が多く傷つけてる。……甘えて、振り回して、挙句の果てには私からふ
って」
「もう、いいわ……」
「江利子よりも私の方が……」
「聖!」
 私は思わず、声を上げていた。その声にクラスメイトの何人かは振り向いたけれど、今
はそんなこと気にしてる暇はなかった。
「わかったから。もう、やめて……」
「そう、だね。ごめん」
 私の悲壮な感情に、聖はそれ以上何も言わなかった。

「……。さて、と。そろそろ、戻るわ。じゃ、伝言伝えたからね」
 しばらくして、聖が沈黙を破って自分の教室へ戻ろうとするので、私は慌てて聖を引き
止めた。
「聖!」
 私の声に、聖はゆっくり振り向いた。
「その……ありがとう。少し落ち着いたわ」
 私のその言葉に、聖はきょとんとして驚いたが、その後、突然微笑んだ。
「な、何?」
「ん~? 江利子もやっぱやさしいなーって思って」
「はぁ?」
 いきなりなんなのだろう。聖の考えていることはイマイチ理解が出来ない。
「……だから、蓉子にもちゃんと謝りなよ? たまには自分から……ね」
 そう言って、聖は私に近づいて、あろうことか……。

 ちゅ。

「っ!?」
「んふふ~。痛みは和らいだかな。じゃー、頑張りなよ。私は江利子も蓉子も、二人とも
大好きなんだから」
「~~聖!!」
 ウインクをして、さっさと自分の教室へ戻る聖を見ながら、私はまた大きな声を上げて
しまった。先ほどとは違って、今度はクラスメイト一人でも、今の聖の行動を見ていない
かどうか気にする必要があった。
 ……だって。
 だって、今、聖は私の右頬に軽く、キスをしてきたのだから。そして、離れる瞬間、聖
はこう囁いた。
『きっと元の関係に戻るよ。だって、蓉子は江利子のこと、好きなんだから』と。
 蓉子の名前を聞くたびに、私の心は締めつけられた。けど、その言葉を聞いて、どこか
ホッとする自分がいたのも事実だった――。


 授業が終わると、私は薔薇の館に寄らないで、まっすぐ帰った。聖に伝言をしたので、
会議の方はなんとかなるだろう。
 ……今日はずっと会っていない。
 学校がある中で、こんなに顔を合わせないのは初めてかもしれない。いつもは私が折れ
て、江利子のところへ顔を見に行ってしまうから。けど、今日は違かった。
『蓉子は私に会うことよりも、名前も知らない子からもらったのプレゼントの方がうれし
いんでしょ』
 ショックだった。江利子にそんなことを思われたことが。
(江利子のバカ)
 心の中で再びつぶやいた。
(江利子だってプレゼントぐらいもらったことあるじゃない)
 今年の春、薔薇さまになって江利子と二人でいた時、二年生になったと思われる生徒が
プレゼントを持って、江利子に渡しにきたことがあった。江利子は顔をしかめ、めんどう
くさそうにしていたけど、お祝いの品と思って受け取っていた。
 それを見て、私は「よかったわね」とやさしく微笑んだ。
 けれど、本当はいやだった。江利子を好きなのは私だから、と言いたかった。でも、そ
の二年生の笑った顔を見て、本当にうれしいのね、と感じたから、素直に喜んだ。だって、
この世界には周りにたくさんの人がいて、自分たちだけの世界があるわけじゃないから。
 それを思うたび、聖と栞さんの顔が浮かんでくる。
 二人は愛し合った。心の底から。特に聖は栞さんしか目に見えていなかった。他人を拒
絶し、その相手だけいれば、他に何もいらない。二人だけの世界があればいい。そうやっ
て生きようとした。
 でも、その代償は大きくて、結果……二人はお互いを失った。
 私は聖のために何かしてあげたかった。だから、栞さんと別れた後、私は……聖を求め
た。聖のことは前からずっと好きだったし、聖の淋しさを埋めてあげたかったから。聖と
いる時間はとても楽しかった。聖も少しずつ、元気を取り戻してくれて。でも、この虚無
感は何だろう、と感じるようになった。これ以上いても、きっと、この虚無感は埋まらな
い……そう、感じた。
 結局、聖の方から別れ話を持ち出して、私もそれに同意した。
 私はまた、聖が壊れてしまうのではないかと心配したけれど、それは杞憂だったらしい。
聖は明るくなった。志摩子の時はまだわからなかったけど、祐巳ちゃんが来た時は、本当
に変わったと思った。今までの聖はどこに行ったのかと思うほど、他人に積極的に接して
いた。
 私はぎゅっと左手を握った。そう、これでよかったんだ。聖とは恋人じゃないけれど、
今まで通り、うまくやっていけている。今回の江利子のことだって聖に相談もして……。
「っ!!」
 江利子。
 私は不意にその名前を心の中でつぶやいて、握っていた左手を見つめた。
 ……手が熱い。私は初めて人を叩いた。今までそんなこと、したことなかったのに。私
の心に不安感が走った。
 江利子に嫌われたかもしれない。
 そう思うと怖くなった。優等生なんて、人当たりがいいのは自分に自身がないからだ。
私は聖以上に人との関係が壊れてしまうのが怖いから、自分をよく見せようと偽って、た
だ、仮面をかぶっているだけ……。じゃあ、この仮面がはがれたら、私はどうなってしま
うのだろう。自分をさらけ出して、相手にその感情が伝わった時、その人の心は離れない
だろうか。それが怖かった。
 江利子江利子江利子。
 名前を何度も呼ぶけれど、今、いとしいその人は私の名前を呼んではくれない。
「えり……こ」

 ――誰もいないこの薄暗い部屋の中、私はただ、泣くことしかできなかった――。


 放課後、私は薔薇の館に行くのをためらった。もともと、授業が長引いて、SHRが終わ
るのが遅かった上に、愛する人もいないのだから。けど、結局向かった。薔薇さま二人が
いないというのも、あまりいいのものでもないし、何より聖一人では何しでかすか、わか
らなかったから。基本的に怠惰な私がこう思うなんて、少しおかしいと思った。
 薔薇の館につくと、祐巳ちゃんと由乃ちゃんの二人がお茶を飲んでおしゃべりをしてい
た。
「あ、黄薔薇さま。ごきげんよう」
「あら? 祐巳ちゃんと由乃ちゃんの二人だけ?」
「はい。お姉さまは先生の用事で遅れると言っていました。令さまは部活で、志摩子さん
は委員会です。聖さまは……まだみたいですね」
 私以上の怠惰ぶり。……聖、あなた、どういうつもりよ。
「あ、それと蓉子さまは……」
「いいわ。蓉子のことは聞いてるから」
 私は深くため息をつくと、自分の席に座った。今は蓉子の名前を聞くだけでもつらい。
そんな様子がわかったのか、由乃ちゃんは祐巳ちゃんを小突いた。
「祐巳さんっ」
「え? あ、え??」
 私、何か言った? とでも言うように、祐巳ちゃんはオロオロしていた。それがおもし
ろくて、自然と怒る気は起きなかった。
「別にいいわよ。そんなに気にしなくて。それより何か淹れて欲しいのだけれど」
「は、はいっ。中身は何がいいですか」
「そうね……、それじゃ、ダージリンお願い」
「はい!!」
 元気よく返事をして流し台に向かう。この子のこういう態度を私はうらやましい思う。
素直で、やさしくて、誰からも愛されている。あの祥子でさえ、祐巳ちゃんに対してはや
さしくなることが出来る。
「黄薔薇さま。お待たせしました」
 しばらくして、祐巳ちゃんが持ってきてくれた紅茶をいただく。
「おいしいわ。祐巳ちゃん、ありがとう」
 ……紅茶を飲みながら、私はふと考えていたことを口にする。
「祐巳ちゃんに由乃ちゃん。二人は……誕生日には好きな人にどうしてもらいたい?」
「へ!?」
「……黄薔薇さま?」
 怪訝な顔をされたが、私は気にせず質問を続けた。
「ね。何してもらいたい?」
 少し間を置いてから、まず、由乃ちゃんが答えた。
「……そうですね。私は令ちゃんとはもともと従姉妹ですから、特に何かしてもらいたい、
ということはないですけれど……きっと、その日は令ちゃんを振り回しちゃうかな」
 その姿が容易に想像できた。きっと次の日はくたくたに疲れた顔をして学校にやってく
るのだろう。
「ふふ、そうね。……祐巳ちゃんは?」
 話を振られ、なお考え込む祐巳ちゃん。そして。
「ええ、と。私はやっぱり、好きな人と……一緒にいたいです。その日はずっと一緒に過
ごして、ずっとずっと側にいたい……」
 祐巳ちゃんは顔を赤らめながらもちゃんと答えてくれた。
 ……ああ、そうか。
 私はこの言葉を聞いて、決心がついた。紅茶を飲み干して、帰り支度をする。
「悪いけれど、私も急用が出来たから先に帰るわ。他のみんなにも、そう言っておいて」
「へっ!? あの、黄薔薇さま?」
 何もわかってない祐巳ちゃんの代わりに、由乃ちゃんは笑顔で答えてくれた。
「わかりました。伝えておきます。黄薔薇さま……頑張ってください」
「……よくわかりませんけれど……。あの、頑張ってください。きっと、黄薔薇さまにと
っては重要なことなんだと思いますから」
「……ありがとう」
 私はそう一言言って、薔薇の館を後にした。私の顔を見て、二人は少し驚いたようだっ
た。きっと、私は笑っていたのだろう。自分でも驚いている。私がめったに笑うことなん
てないのだから。でも、これは二人のおかげかもしれない。
 ……勇気をもらった。祐巳ちゃんのやさしさと、由乃ちゃんのイケイケを。
 今度は自分から進もう。
 私にとって、蓉子は大切な恋人なのだから。
 私はそう思いながら蓉子の家へと、足早に向かって行った。

 ――電車とバスを乗り継いで、ようやく蓉子の家に辿り着く。
(蓉子……いるかしら)
 薔薇の館を欠席したのだから、家にはもういると思った。それに。
(やっぱり、会いたいものね)
 そう、今度は自分から。心の中でつぶやいて、私は意を決して蓉子の家のインターホン
を鳴らした。
 ……。
 誰も出ない……。
 例え蓉子がいなくても、おばさんはいると思ったのに誰も出ない。おかしいと思ってド
アノブに手をかける。
 鍵はかかっていなかった。蓉子の家には何度も行ってるので、そのまま上がらせてもら
った。何より、このまま留守にするのは不用心だし。
「お邪魔します……」
 私は一言そう言って、蓉子の家に上がった。
 まだ、十八時なので、外はそんなに暗くはなかったけれど、さすがに電気のついていな
い部屋は暗かった。
(蓉子は……自分の部屋?)
 一階に人の気配がなかったので、二階にあがって蓉子の部屋へと向かった。一度ノック
をして部屋に入った。
「蓉子? いるの?」
 ……部屋は暗かった。
「蓉子?」
 電気をつけた部屋の中で、私の目に入ったのは……ベッドに背を預け、小さくうずくま
っている蓉子の姿だった。
「ちょっ……! 蓉子!?」
「っ!?」
 蓉子の側に近寄って、彼女の体に触れると、ビクッと反応した。蓉子の体はとても震え
ていて、小さく感じた。
「え……り、こ……?」
 かすれた声で私の名前を呼ぶ。目なんか涙ではれて、痛々しかった。この涙はきっと、
私のせいなのだろう……。
「えり、こ?」
 蓉子は再び私の名前を呼んだ。どうして、ここにいるの? とでも言うように。まだ、
一日二十四時間も経っていないのに、久しぶりに蓉子に名前を呼ばれた気がした。
「っく……ぅ……ぇ、り……こぉ……っ」
 泣きながら、なおも私の名前を呼ぶ蓉子を、私はやさしく抱きしめた。
「蓉子……大丈夫だから。もう、泣かないでいいから」
「っ、ぅん……」
 そう言ったけれど、蓉子の泣き声は止まらなかった。ぎゅっと私の制服を握りしめ、ず
と泣いている。私はこれ以上何も言わずにしばらくの間、蓉子を抱きしめ続けた……。

「泣き止んだ?」
 私の問いに、蓉子は小さくうなずいた。しばらくは泣き止むまで黙って抱きしめ続けて
いたけれど、ようやく落ちつきを取り戻したようなので蓉子に声をかけた。
「心配したわ。インターホンを鳴らしても誰も出ないんだもの」
「……」
「しかも鍵がかかってなくて不用心」
「……」
「おまけに部屋の中は真っ暗」
「……」
「でも……」
 そこで、一度私の言葉は切れた。
 ……言おう? 今日は自分から進もう。そう、決めたから。
「でも……蓉子の顔が見れてよかったわ」
「……え?」
「ごめんなさい……蓉子」
「えりこ……?」
 蓉子は目をぱちくりさせている。無理もなかった。私から謝るなんてこと、今まで一度
もなかったから。何があってもいつもは蓉子から謝りに来て、元のさやに戻る。それが当
たり前になっていたから。でも……。
「私は蓉子と一緒にいたいの。ずっと一緒に」
「……わたしのこと……きらいになったんじゃ……ないの?」
「……は?」
 一瞬、固まってしまった。……私が蓉子のことを嫌う?
「そんなことあるわけないじゃない。告白したのは私の方なのよ?」
「でも……すきじゃなくなったら、そんなのかんけいないもの……」
 そう言うと、蓉子は俯いてしまった。私は蓉子のさらさらな髪を撫で上げ、顔を私の方
に向けさせる。
「蓉子……」
 名前を呼び、そしてすばやくキスをした。
「……ぁ……ぅん」
 角度を変えて、何度も何度も蓉子にキスをする。唇を頬や首筋、鎖骨に這わせていく。
私の愛撫に、蓉子は切ない顔をする。
「え、りこ……」
 名前を呼ばれたと同時に、私は再び蓉子の唇にキスをした。今度は舌を絡めて蓉子を感
じてたくさんキスをする。蓉子も、積極的に舌の動きを私に合わせている。
 ……キスはいつも私からだった。
 蓉子から謝りにきても、キスは私からしていた。謝っても、蓉子は拗ねたままだから機
嫌を直すのにキスをして。
 だからなのだろうか。今日は朝から会っていない蓉子に、たくさんキスをしたくなった。
そうやって、今はキスをすることに夢中になった……。


「――で? どうして今日は来てくれなかったのよ」
 キスの後、一息入れようと思い、紅茶を淹れた。「私が淹れる」と言ったけれど、江利
子はそれを引き止めた。私の代わりに、江利子が淹れてくれた紅茶は、とてもおいしかっ
た。
「だって……。怒ってる時の江利子って手がつけられないんですもの。だから会いに行く
の止めたのよ」
 私はさっきまでの焦燥感が消え、いつもの感覚が戻って冷静に江利子の質問に答えた。
 怒ってる時の江利子は何を言っても聞かない。私から謝りに行ってもそれは変わらない
から、私はいつも拗ねるばかり。けれど、結局は江利子の方が我慢ならなくなって、私を
なだめるのにキスをする。それの繰り返しだった。
「……? 江利子?」
 不意に、江利子の顔が不機嫌になったので、今度は私が江利子に訊ねた。
「何、むすっとしてるのよ」
「……つまらない」
「え?」
「だから。いつもの蓉子に戻っちゃってつまらないの」
 ……え? いつもの私? それって……。
「いつもの私って……優等生で人当たりがいい……?」
「当たり前でしょ? いつもの蓉子なんて見慣れてるじゃない。私は優等生の面を取った
蓉子を見るのが好きなのよ」
「っ!」
 私は驚いた。優等生の面を取った蓉子が好き。それは、私の本当の心が好きっていうこ
とだと思ったから。
 自分の内面的なところ。
 私はそれをさらけ出して、嫌われたくないから今まで本当の心を隠してきた。けれど、
それを、江利子は好きって言ってくれた。それがとてもうれしくて、私はまた俯いてしま
った。
(もう、江利子ってば……あら?)
 ちょうどその時、江利子が持ってきたと思われる、黄色い包みの箱を発見した。
「ねえ、江利子……。それ、何?」
「え?」
 私の指しているものがわかったのか、江利子は「ああ」とつぶやいて、私に差し出した。
「ケーキよ。明日は蓉子の誕生日だから用意して持ってきたの」
「ふーん。……ねえ、食べていい?」
「え? 別にいいけれど……誕生日は明日でしょ?」
「いいのよ。せっかく江利子が用意してくれたんだから」
 確かに明日が誕生日だけど、そんなのは気にしなかった。江利子が選んでくれたのだか
ら、早く口にしたいという想いの方がとても強かった。そして、中身を開けるときれいに
整ってある、レアチーズケーキが入っていた。
「へぇ~、レアチーズね。うん、おいしそう」
「味はたぶん大丈夫よ。味見もしたし。結構うまく作れたと思うわ」
「……え?」
 まじまじとケーキを見る私のかたわらで、江利子はとんでもないことを発言した。
 結構うまく、作れた……? 
「え、江利子……? これ、買ったんじゃないの……?」
「違うわよ」
 私の問いをあっさり否定。
「じゃあ……やっぱり……」
「ええ、私が作ったの。令に一度、作り方とか教えてもらったことがあるから、それを参
考にね。いやだった?」
 私は首をぶんぶん振って思いっきり否定した。
 いやなわけがない。むしろ、うれしい。
 江利子がそこまでしてくれているなんて、知らなかった。とてもうれしくて涙が出そう
だった。けど、それをぐっとこらえて、目の前にあるケーキを手に取った。
「……いただきます」
 一口、口にした後、江利子が顔をのぞきこんだ。
「……おいしい?」
「ええ」
 江利子の作ったケーキはとてもおいしかった。私がそれにうなずくと、江利子はそっと
私の頬を撫でた。
(……あ)
 頬を撫でられ、今朝の光景が眼に浮かんだ。そうだ。私、江利子の頬を……。
「江利子……今朝は、ごめんなさい……」
「え?」
「頬……叩いちゃったから」
 そう言って、引っぱたいた江利子の頬をさする。今朝、勢いあまって江利子の右頬を、
思いっきり叩いた。あの時、叩いた手のひらはとても熱くてじんじんしていた。なら、そ
の衝撃は江利子も同じで。だから、とても痛かったはず。
「痛かったでしょう?」
「そう、ね」
 江利子は私の手を自分の手に合わせる。そして。
「痛かったけれど、大した問題じゃないわ。だって、聖がキスしてくれたんだもの」
「は?」
 江利子はそう言ってにやにや笑い出した。
「だからね。今日、私の教室に来て、右頬にキスしてきたの」
「な、なんで……」
「さあ? 単なる気まぐれじゃないの?」
 私はそれを聞いて、さらなる怒りが込み上げてきた。
「江利子のバカ!! もう、知らない!!」
 わたしはぷいっとそっぽを向いた。再び怒らせるなんて江利子のバカ。そんなことを思
っていたけれど、しばらくして、くすくす、と笑いが聞こえてきた。
「っく、くすくす。やっぱり、蓉子はそういう子供っぽいところが一番可愛いわ」
「っ! えり……きゃっ!?」
 反抗して、江利子の方に振り向こうとした瞬間、ぐいっと体を引っ張られ、私は江利子
の胸にすっぽりと収まってしまった。そして、おもむろに、私の左の手のひらに口を寄せ
てキスをする。
「っ、江利子……」
「……私だって本当はやきもち焼いてるのよ? 聖とは別れたけど、けんかしてる度に、
蓉子は聖のところに行ってるから……。私は心配なの」
「……聖とのことは、別に」
 そう、聖とはもう何でもない。今は大切な親友としてだから。
「そうね。けど、やっぱり、心配なのよ」
 そう言って見せてくる江利子の顔はとても悲しそうだった。
 ……ずるい。そんな顔されたら怒るに怒れないじゃない。私は悔しいから、聖がしたと
思われるその頬に、軽く口づけをした。
「……蓉子っ?」
「私、お風呂入ってくるわ」
 私は立ち上がって、着替えの準備をして、その場を立ち去った。
 そっけない態度を取ったのはとてもじゃないけれど、恥ずかしくて江利子の顔なんか、
まともに見れないだろうから。私は足早に部屋を出ていった――。


「……やられたわね」
 まさか蓉子からキスをしてくるなんて。いくら頬だからっていっても、蓉子からキスな
んて今までめったになかったから、すごい驚いた。けれど、そんな蓉子の一面を見れて、
私は少しうれしくなった。
「でも……すごい幸せよね」
 ここに来るまでは。ここに来るまでは、とても、つらかったけど、今はこうして幸せに
なっている。それがどんなにうれしいことだろう。これも、祐巳ちゃんや由乃ちゃん、そ
れに聖のおかげだと思い感謝をした。……あなたたちはノアのような神様ね。

 ――……もしかしたら、幸せを運んでくれる方舟がどこかにあるのかもしれない。それ
はどんなものなのかはわからないけれど、私もそれを誰かに託したいと思った。だから、
今は時計の針が十二時を回ったらこう言うわ……。

 ――蓉子、誕生日おめでとう……――。
プロフィール

ひかわ

Author:ひかわ
【ひかわ】

・適度に虚弱なSS書き

作品については原作者様・出版社様・他関係者関係企業とは関係がありません。
内容閲覧等(百合・同人等)につきましては、全て閲覧者の任意の為一切の責任を負いません。


また、掲載されている文章の転載・加工・二次利用はご遠慮ください。

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